棚からボタ餅
1987年から1988年オーナーが変更しても船籍が変更になっても会社の運営は順調に推移していたと思います。

87年の5月はパンナムを引き継いだユナイテッド航空とタイアップした旅行会社の研修旅行を催行しました。メキシコのアカプルコからロスアンジェルス経由サンフランシスコまで、アカプルコのホテルはハネムーン客で有名なラス ブリシャスホテルでした、一人ひとり別々のプライベート スイミング プールの有るコテージを提供して喜ばれたものです。丘の上にあり、移動はゴルフカートを利用する素敵なホテルでした。

上の写真はUAの平塚さん国際ビルで一緒に過ごした私の親しい友人です。死のダイビングで有名な展望台でのスナップです。右の写真は、チーフパーサーのシグナと平塚氏、KNTから参加のT氏、後にクラブツーリズムの中枢機関のトップに立った方です。
シグナ(Signe)は前にも書きましたが、RVL初の女性パーサーですが、この時はRVスカイに乗船しており、私のホテルに電話をくれて、早く船に来るようにとせかされました。通常夕方の4時に乗船するのですが、昼も用意するからということで早めにチェックインしました。
このクルーズにはUAの本社からもアメリカ人が参加してくれたのですが、彼氏とても船に弱くていつも船酔い状態で可哀相な位毎日が大変でした。この時は皆さんサンフランシスコで下船して帰国されましたが、本社の重役がシアトル経由バンクーバーまで乗るので、私もmヒーティングの付き合い、シアトルまで急遽乗る羽目になりました。
棚からぼた餅、上手い話 89年だったk88年だったかとにかく1月サンフランシスコから急に電話があり社長が用があるので直ぐ来いという指令があり慌てて出かけました。日本は正月休みの時期でした。 オフィスに出かけるとなんか今までとは違う雰囲気でVIP扱い、何事かと?? 理由は87年の9月ごろ私にヘッドハンターから別の外資関係の会社からオファーがあったことをメモで知らせておいたのを急に思い出して辞められては困るということになったらしいのです。何がほしい,給料が足りないのか、予算を増やしてあげると何のことは無い辞める意思も盛ってなかった私にとっては大変良い話になってしまったのです。 おまけに日曜日にはアメリカンフット ボールの準決勝ミネソタバイキングと49ナイナーズに招待までしてもらったのです。RVL派当時キャンドルスティック スタジアムと呼ばれたサンfルアンシスコ ギャイアンツの年間VIP室を持っていたものですから、ラッキーでした。ちなみに隣の部屋はバンクオブアメリカが持っておりました。
日本でも後楽園球場でネット裏のVIP室には時々は行ったことはあったのですが、その広さといったら20名ほどが入る大きな部屋で3段ぐらいあり、蝶ネクタイのウエイターがワインやら、食事まで贅沢な設備を誇っていたのには流石アメリカと驚嘆したものです。翌日オフィスに行くと何故お前さんだけが良い思いをするのとやっかまれました。
帰国後直ぐ2月にはオーストラリアからニュージーランドへのクルーズを楽しみました。2回目のオーストラリア、初めてのニュージーランドへの旅となりました。日本の旅行会社の研修旅行もかねてカンタス航空の協力を得ての旅でした。
ニュージーランド北端のベイ オブ アイランドはとても綺麗な静かな港町でした。 ワイタンギという場所で午前中ゴルフを楽しみ、午後はオーシャンフィッシングを楽しんだ日本からのグループもおりました。
魚釣りを楽しんだグループの方々がスズキを釣ってきてそれをシェフに頼んで料理をしてもらい、その夜のディナーテーブルに焼き魚にしてテーブルに運んできてくれた時は拍手喝采流石ロイヤルバイキングラインといわれたものです。

この写真はオペラハウスをバックにしてお客様方も入った一緒の写真ですが大手旅行会社からの参加の方々のみならず日本からも沢山のお客様方がさんかされていたのでした。この頃はバブルの真っ只中、景気も良かったのかもしれません。
この年は旅行会社の研修やら、メディアグループを連れてのPR活動良く船に案内をしたものです。5月には日経、読売、元Nのアナウンサー、旅行業界紙などの方々を案内して、中国の北京までお連れしました。
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神戸から乗船して、長崎、釜山を経由して天津へ、そこから、車で北京までの強行軍でした。 釜山では国際マーケットを買い物市ながら散策、途中トイレタイム何処を探しても適当な所が無いのです。有るショップの裏に案内してもらったのですが、アンモニアの臭いのきつかったこと辟易しましたねー。
天津に着いてからが凄かったですね。バスで北京に向ったのですが、先頭にはなんと警察車両が先導してサイレンを鳴らしながら、そこのけそこのけと約3時間半ほどかかりましたが無事ホテルに到着しました。途中のトイレタイムこれがまた凄い! 釜山どころじゃなかったのです。
少しうす暗い所で男性用は真横にズラーと奥まで広がり、大のほうには隣のドアも無いのです。初めて見る光景に驚きました。バスから降りるとき説明はされたのですが、これだけは実物を見るまでこの様子は判断不明でした。
只、救いだったのは万里の長城を見学に行ったときはすでにペイトイレも用意されていたことでした。清の西皇太后の愛した夏の宮殿、紫禁城、天壇、北京ホテルの歓迎の祝宴とオペラ歌手の出演、3泊を楽しみました。また日本の会社(廣済堂)が最初に作った市内の外交官舎近くの9ホールのゴルフ場でプレーしたのも記念になった北京への訪問でした。
現在は天津/北京の間には高速道路が走り短時間で結ばれているとのこと、時の流れの速さには驚かされます、
2011年4月末から大連、北京、上海と再度訪問する予定です。今からとても楽しみにしております。
87年の5月はパンナムを引き継いだユナイテッド航空とタイアップした旅行会社の研修旅行を催行しました。メキシコのアカプルコからロスアンジェルス経由サンフランシスコまで、アカプルコのホテルはハネムーン客で有名なラス ブリシャスホテルでした、一人ひとり別々のプライベート スイミング プールの有るコテージを提供して喜ばれたものです。丘の上にあり、移動はゴルフカートを利用する素敵なホテルでした。
上の写真はUAの平塚さん国際ビルで一緒に過ごした私の親しい友人です。死のダイビングで有名な展望台でのスナップです。右の写真は、チーフパーサーのシグナと平塚氏、KNTから参加のT氏、後にクラブツーリズムの中枢機関のトップに立った方です。
シグナ(Signe)は前にも書きましたが、RVL初の女性パーサーですが、この時はRVスカイに乗船しており、私のホテルに電話をくれて、早く船に来るようにとせかされました。通常夕方の4時に乗船するのですが、昼も用意するからということで早めにチェックインしました。
このクルーズにはUAの本社からもアメリカ人が参加してくれたのですが、彼氏とても船に弱くていつも船酔い状態で可哀相な位毎日が大変でした。この時は皆さんサンフランシスコで下船して帰国されましたが、本社の重役がシアトル経由バンクーバーまで乗るので、私もmヒーティングの付き合い、シアトルまで急遽乗る羽目になりました。
棚からぼた餅、上手い話 89年だったk88年だったかとにかく1月サンフランシスコから急に電話があり社長が用があるので直ぐ来いという指令があり慌てて出かけました。日本は正月休みの時期でした。 オフィスに出かけるとなんか今までとは違う雰囲気でVIP扱い、何事かと?? 理由は87年の9月ごろ私にヘッドハンターから別の外資関係の会社からオファーがあったことをメモで知らせておいたのを急に思い出して辞められては困るということになったらしいのです。何がほしい,給料が足りないのか、予算を増やしてあげると何のことは無い辞める意思も盛ってなかった私にとっては大変良い話になってしまったのです。 おまけに日曜日にはアメリカンフット ボールの準決勝ミネソタバイキングと49ナイナーズに招待までしてもらったのです。RVL派当時キャンドルスティック スタジアムと呼ばれたサンfルアンシスコ ギャイアンツの年間VIP室を持っていたものですから、ラッキーでした。ちなみに隣の部屋はバンクオブアメリカが持っておりました。
帰国後直ぐ2月にはオーストラリアからニュージーランドへのクルーズを楽しみました。2回目のオーストラリア、初めてのニュージーランドへの旅となりました。日本の旅行会社の研修旅行もかねてカンタス航空の協力を得ての旅でした。
魚釣りを楽しんだグループの方々がスズキを釣ってきてそれをシェフに頼んで料理をしてもらい、その夜のディナーテーブルに焼き魚にしてテーブルに運んできてくれた時は拍手喝采流石ロイヤルバイキングラインといわれたものです。
この写真はオペラハウスをバックにしてお客様方も入った一緒の写真ですが大手旅行会社からの参加の方々のみならず日本からも沢山のお客様方がさんかされていたのでした。この頃はバブルの真っ只中、景気も良かったのかもしれません。
この年は旅行会社の研修やら、メディアグループを連れてのPR活動良く船に案内をしたものです。5月には日経、読売、元Nのアナウンサー、旅行業界紙などの方々を案内して、中国の北京までお連れしました。
神戸から乗船して、長崎、釜山を経由して天津へ、そこから、車で北京までの強行軍でした。 釜山では国際マーケットを買い物市ながら散策、途中トイレタイム何処を探しても適当な所が無いのです。有るショップの裏に案内してもらったのですが、アンモニアの臭いのきつかったこと辟易しましたねー。
天津に着いてからが凄かったですね。バスで北京に向ったのですが、先頭にはなんと警察車両が先導してサイレンを鳴らしながら、そこのけそこのけと約3時間半ほどかかりましたが無事ホテルに到着しました。途中のトイレタイムこれがまた凄い! 釜山どころじゃなかったのです。
少しうす暗い所で男性用は真横にズラーと奥まで広がり、大のほうには隣のドアも無いのです。初めて見る光景に驚きました。バスから降りるとき説明はされたのですが、これだけは実物を見るまでこの様子は判断不明でした。
只、救いだったのは万里の長城を見学に行ったときはすでにペイトイレも用意されていたことでした。清の西皇太后の愛した夏の宮殿、紫禁城、天壇、北京ホテルの歓迎の祝宴とオペラ歌手の出演、3泊を楽しみました。また日本の会社(廣済堂)が最初に作った市内の外交官舎近くの9ホールのゴルフ場でプレーしたのも記念になった北京への訪問でした。
現在は天津/北京の間には高速道路が走り短時間で結ばれているとのこと、時の流れの速さには驚かされます、
2011年4月末から大連、北京、上海と再度訪問する予定です。今からとても楽しみにしております。
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